スイスドイツ語
バーゼル、チューリッヒ、ベルンなどスイスのドイツ語圏で、実際に話されているのは「標準ドイツ語」ではなく、ドイツ語の方言にあたる「スイスドイツ語」です。これは標準ドイツ語とはかなり違っていて、ドイツ人にも最初は分からないそうです。そしてそれぞれの地域毎にも違いがあり、バーゼルのスイスドイツ語とチューリッヒのスイスドイツ語では全然違うそうです。また完全な話し言葉で、読み書きがなく、地域横断型の標準スイスドイツ語みたいなものもないため「スイス語」という「言語」にはなり得ない訳です(「方言」でしかない)。ということで言語としては標準ドイツ語を公用語として新聞、テレビ、各種書類等に使っていますが、話し言葉は各地域の方言ということになります。スイス人が赤ちゃんの時から聞いてる言葉(母語)は親が話すスイスドイツ語で、それを最初に覚え、小学校で「国語」として標準ドイツ語を習うそうですが、外国人が外国語として習う場合はスイスドイツ語を覚えてしまってから標準ドイツ語に矯正するのは大変で、順序としては標準ドイツ語をきちんとものにしてからスイスドイツ語に挑戦するのがよいようです。私は語学学校に行って標準ドイツ語を習いましたが、結局スイスドイツ語までは手を出しませんでした。スイス人の知り合いも外国人の私には標準ドイツ語で話すし、スイスドイツ語は読み書きがないため、直接話さない限り触れる機会がなく、覚え様がありません。ドイツ人がスイスに来て、スイスドイツ語をマスターするのに3ヶ月位と言われています。それ位標準ドイツ語と異なるので、下手に手を出すと混乱するだけだし、一生そこに住むとかじゃないとそこでしか通じないのであまり意味がないかも知れないです。
語学学校探し
スイスに来て約1ヶ月が経過した頃、ドイツ語の学校を探しに行きました。知り合いから紹介された公立の学校を一つあたってみましたが、ちょうど1週間前に新クラスが始まったところで次の開始は3ヶ月後になるとのこと、途中からはクラスに入れてくれないということなのでそこはやめました。次に、街の中心部の広場近くにSKKというドイツ語の学校があるのがトラムから見えて知っていたため、そこに行ってみました。話をしてくれた担当の人はスイス人の女性で、英語がとても上手で全て英語で説明してくれました。まずはレベルチェックをして、ちょうどいいクラスがあるかどうか確かめるということで、ドイツ語の試験を受けました。日本で少し習った文法の部分と簡単な語彙しか分からなかったのですが、少しは知識があるということで(まるっきりドイツ語が分からないわけではない)2週間前から始まった初級クラスに入れてくれるということになりました。授業は毎日8:30〜10:00の1時間半、その後自習室での自習が1時間半(部屋に先生が一人いて、生徒が各自宿題等をやって、分からないことを質問したりできる)、さらにマルチメディア学習(学習システムE-Lerningが出来ていて、PCルームか自宅インターネットでドイツ語の勉強が出来る。文法の確認や語彙の獲得等がメイン)を自由に出来るという感じです。費用は10週間で2500CHF位、その後10週毎に契約更新していきます。
カフェテリア
学校の2Fにはカフェテリアがありました。カフェテリアと言ってもコーヒーの自販機とテーブルと椅子がいくつか置いてある談話室です。授業の後とか、友達とおしゃべりしたり宿題やったり自由に使えました。
初級クラス-1
先生はサリー(スイス人女性)、生徒はジェニー(アメリカ人女性)、アデン(トルコ人男性)、エリック(オーストラリア人男性)、ジーナ(ブラジル人女性)と多国籍。色んな国の人がいてとても刺激を受けます。初心者クラスなので先生も丁寧に説明してくれた(ただし説明はドイツ語。少しだけ日本で勉強していたから何とか先生の言うことが分かった。まるっきりドイツ語知らないと厳しいかも。。)。若い先生だし、初心者クラスということもあり無理なく和気アイアイといった感じで楽しいクラスでした。ジェニーやエリックとは普段は英語で会話していたので英語の練習にもなった。この頃にはまだドイツ語だけで意思疎通は難しかったです。教科書は文法のテキスト、練習問題集2冊、語彙集の計4冊で持ち歩くのがかなり重たい。宿題で練習問題を毎日たくさんやった。授業の後はたいがいカフェテリアでコーヒーなど飲んで一休みしてから自習室でみんな勉強していた。だいたい午前中一杯は学校で過ごした。アデンはすでにスイスで働いていて、スイスドイツ語が分かる。。スイスにトルコ人は沢山住んでおり、ケバブの店などもたくさんある。スイスドイツ語を矯正するのが大変そうだった。アデンとジーナは英語は分からないそうで、そういう生徒もいるため先生も英語はほとんど使わなかった。ジーナはVISAの関係で途中でブラジルに一時帰国しちゃいました。ドイツ語は文法が複雑。定冠詞、不定冠詞、形容詞、人称代名詞全て各変化があり、動詞は主語に応じて活用する。この辺が基礎の基礎。前置詞も使い方が複雑。名詞に男性、女性、中性と3種類あり、語彙を覚えるときは同時に性もおぼえなければいけない。現在完了を少しやったところで10週間終了。ドイツ語では過去形は話し言葉では使わない。会話で過去の出来事を話す時は現在完了を使う(英語の現在完や了とは概念が少し違う)。過去形は読み書きの場合のみ使用する。新聞や本などでは見られるが日常生活で使う(話す)ことはあまりない。
初級クラス-2
先生はハワード(ドイツ人男性)、生徒は初級クラス-1から引き続きのジェニーと、デヴィッド(アメリカ人男性)、メアリー(ロシア人女性)の計4名の少数クラスでした。先生はドイツ人でとても優しい。64歳とのことだったがもっと若く見える。先生は英語が出来るので分かりにくいところとかは英語で説明してくれた。メアリーも英語は出来る。他2名はアメリカ人なので当然英語。ジェニーの英語はとても聞き取りやすいがデヴィッドの英語はちょっと分かりにくい。ジェニーはカナダで英語の先生やってたらしいので発音もきれいでなのかな。でもアメリカ人同士で話されると全然聞き取れない。アメリカ人二人は何か質問するときほとんど英語だったが、私にとっては英語も外国語で結局英語を話すにしても色々考えないと話せないので、同じ考えるならと質問は頑張ってドイツ語(カタコトだけど)でしていた。ジェニーはそれをとても感心していた「ちゃんとドイツ語で聞いてえら〜い!!」とか。。ただ単に英語がそんなそスラスラしゃべれないからなんだけど。。。文法はどんどん難しくなる。このクラスでは従属節や接続詞の用法、関係代名詞などを中心に学んだ。関係代名詞も英語に較べてかなり複雑(男性・女性・中性・複数形更に全て各変化有)。動詞の文の中での位置などもきっちり決まっている。
初級クラス-3
先生は引き続きハワード、生徒は初級クラス-2から引き続きのメアリーとエレナ(エチオピア人女性)というまたまた少人数。エレナはフランス育ちなのでフランス語が話せる。母語はエチオピア語らしいが、エチオピアの公用語は英語。でも英語は分からない。先生はフランス語も分かるので説明はドイツ語・英語・フランス語のMixとなりかなり混乱。エレナはスイス人と結婚していて子供が一人。時々スイスドイツ語が混じるのでよく分からない時がある。。このクラスの前1ヶ月位お休みしていたので、その遅れを取り戻すため宿題や自習を頑張ってなんとか授業について行けた。7月末に試験を受けた。TOEICみたいな公的な試験だった。初級レベルの試験でリスニング、リーディングに加えてライティング(手紙を書く)とスピーキング(先生と会話する)があった。どんな試験だかもよく分からずに受けたので緊張もせずにまあまあの成績で合格した。関係代名詞をやっていた時に日本語にも関係代名詞はあるのかと聞かれた。「〜のところの」とか訳す場合はあるけど英語の「that」に当たるような明確に関係代名詞というものはないので「そんなもの無い」と答えたところ、「関係代名詞がなくてどうやって文章を作るんだ!」と不思議がられた。(ロシア語、フランス語にも関係代名詞はある。)西欧の言語とは文法が根本的に違うと言ったが何となく釈然としないようだった。接続法第U式というドイツ語独特の分かりにくい文法を少しやったところで夏休みに突入。接続法はこの後も苦労の種となった。。
中級クラス-1
夏休みに一時帰国した後に入ったクラスで、先生はウリカ(ドイツ人女性)、生徒はメアリー他中国人、マレーシア人、コロンビア人、ロシア人の女性など8名程の大人数クラスでした。今までよりレベルが高く、ついていけなかった。ウリカはいい先生だけどかなり厳しくて、噛み砕いて易しく説明してくれるタイプではない。授業中辞書は使用禁止で、分からないことは全て質問しろと言われたが、分からないことだらけで質問もままならなかった。ちょうどやっていた文法も接続法第U式という非常に分かりにくいところで、頭の中は大混乱。メアリーが「ウリカの授業は最初は難しいけどすぐ慣れるよ」と励ましてくれて1週間頑張ってみましたが、やはりとてもついていけないため学校に言って少し下のレベルのクラスに変えてもらった。
中級クラス-2
先生はまたウリカ、生徒は初級クラス-1で一緒だったジーナ(ブラジル人女性)、ジェフ(アルゼンチン人男性)、リーファ(中国人女性)、アンナ(スコットランド人女性)、ターニャ(ロシア人の女性)。このクラスで約半年とこれまでで一番長期間一緒に勉強することとなった。そしてこの時期一番上達した。先生は相変わらず厳しいが、生徒達が大体同じレベルだったこと、復習を兼ねて少し前の単元から参加したことで、今回のクラスは挫折せず続けることが出来た。文法の全単元を終了後はZDという試験のための勉強となった(最後の2ヶ月)。ZDは初級クラス-3の時に受けた公的試験の中級版(日常会話レベル)でかなり難しかった。これだけじっくり準備して何とか合格という感じ。ジェフはアルゼンチン人でアメリカ育ち、奥さんもアメリカ人。母語はスペイン語だが英語も当然ネイティブ並み。南米のノリノリの明るく楽しいおじさんという感じ。リーファはとっても真面目な中国人。英語は出来ない。一人暮らしなので淋しいとよく言っていた。結局途中で中国に帰国してしまった。仕事もしてないしここにいるとお金がどんどんなくなってしまい、更にホームシックになり最後の方は帰りたい帰りたいと言ってて可哀相だった。ターニャはロシア人ですが出身はラトビア。ドイツ語ではLettlandといいますが、最初それがラトビアのことだと分からなくて、「それどこ?」とか聞いてしまいました。彼女はとにかく気が強くて自己中タイプで冷たい感じ。特にジェフとそりが合わず、トラブルの種でした。ジェフが朝「おはよう〜」と入ってきても絶対返事しなかった。授業中ジェフが先生に質問をしたが、とても初歩レベルの質問だった。ターニャはそれを聞いて「そんな質問Stuffe(単元)6レベルだわ」と吐き捨てるように言った。このときStuffe 30をやっていた。彼の質問は長くなる傾向があった。まだ上手くドイツ語が喋れないのと、その割に語彙が豊富で私達には何を言っているのか理解出来ないことも多かった(ネイティブの先生には理解出来る)。一度彼が質問している間にターニャが新聞を読み始めた。先生は「授業中に新聞を読まないで」と怒ったが「彼の言っていることが全然分からないから」と負けずに反論。先生は「彼の言っていることが分からなくても私の言うことは分かるでしょう」と新聞を読むのは止めさせた。ジェフは途中で契約満了となって辞めていったのですが、ターニャはそれを聞いては満面の笑みで「それはよかった」と言っていた。その後暮らすは平和でした。。。この頃学校全体としても生徒数がかなり多く、授業後カフェテリアで雑談していると、色んな人が入ってきて、午後まで楽しく話していた。
上級クラス
先生はサロメ(ドイツ人女性)、生徒は何人か入れ替わりもあったけど、最後まで一緒だったのがレナ(エジプト人女性)とスー(中国人女性)でした。気が付くともう上級のクラスで、ZDの次の試験ZD-PLUS(仕事レベル)
のためのクラスですが、ZDよりかなり難易度が高く、スピーキング試験ではディベートとプレゼンをやらなければいけません。10週間の契約でしたがとても10週間では無理です。結局契約更新で計15週位受けましたが、試験は受けませんでした。他の生徒も試験を受けるためというより学校でドイツ語を習うのが目的という感じだったので先生ものんびり楽しく授業をしてました。サロメはウリカに比べると放任という感じで生徒が宿題をやってこなくても怒ることはなかった。それで困る(力がつかない)のは本人だからと突き放し状態(ウリカの場合は宿題をやってこなかったら激怒でした)。このクラスでは文法はもう全部終わっているので、新聞や本を読んだり、ディスカッションやプレゼンしたりと幅広くやってました。私がデジプト大好きなので、レナとはエジプトの話題でかなり盛り上りました。私の持っているアラビア語やヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)の教科書を見せたら「日本人はみんなこんな勉強してるの?!」と大誤解をされてしまいました。私みたいのは特殊だって言っておきました。特にヒエログリフはエジプト人だって読めないですからビックリされました。エジプトに行った時の写真とか見せたらすごく喜んでくれました。自分の国に関心を持ってくれるのは嬉しいことなんでしょう。
スピーキング試験
中級クラス終了後に受けたZertifikat Deutche(ZD)という試験では、スピーキング試験がありました。生徒が2人ペアで会話をし、試験監督の先生が採点します。問題の形式としては、1.お互いに自己紹介をする、2.あるテーマについて書かれたプリントを渡されて、それについてディスカッションする、3.旅行やパーティなどの計画を立てるという3種類。難しかったですが、ウリカの厳しい指導のもと、事前にかなり練習をしてきたので、何とか無事に合格出来ました。ペアも事前に決めてくれていて、一番気の合うブラジル人のジーナと組むことになっていたのでやり易かったです。どんなテーマが出題されるか分からないのですが、過去の問題ではたいがい旅行のテーマは出ていたので、事前に打ち合わせをして、旅行だったら行き先はツェルマット、交通手段は電車とか決めておきました。その場で考えるよりストーリーが決まっていた方がしゃべりやすいかなと思い、これは大正解で、落ち着いて話が出来ました。2番目のディスカッションは「都会に住むか田舎に住むか」というテーマでした。それぞれのメリット、デメリットなどをあげて(都会は便利、田舎は自然豊か、など)どちらがいいかディスカッションするというもので、2人とも同意見だと話を進めにくいのでわざと反対意見になるようにしました。学校内で実施してくれたし、先生も知ってる先生なので、それ程緊張せずに出来ました。
グリム童話
上級クラスの授業でグリム童話をいくつか読みました。グリム兄弟はドイツ人。ブレーメンの音楽隊、白雪姫、シンデレラ、眠りの森の美女、赤ずきんちゃんなど。原文では結構残酷な場面が出てきますが日本ではそういう場面はカットされてるようです。子供には良くないという判断なのでしょう。シンデレラでは継母が自分の娘の足がガラスの靴より大きかったので娘の踵を切ってしまい靴の中が血だらけになったとか。先生に「子供向きの話なのに残酷」と言ったら「これ位たいしたことない。ロシアの童話なんてもっと残酷よ」と言ってました。
桃太郎
グリム童話をたくさん読んだ後、自分の国の童話を一つ紹介しろという宿題が出ました。あまり長編じゃなく翻訳しやすい話をと思い、桃太郎を紹介しました。桃太郎が猿とキジと犬を従えて鬼が島に行くという所が、ブレーメンの音楽隊でロバが犬と鶏とネズミを誘ってブレーメンに向かうというシーンと似ているのでボキャブラリーや構文など参考にしました。鬼は訳すと「Teufel」(英語のdevil)になってしまい、悪魔とはちょっと違うんだけどなと思いながら他に単語がないし西洋の人にも理解出来るように悪魔でいきました。桃を割ったら中から桃太郎が生まれたというシーンでドイツ人の先生はちょっとビックリしてました。桃から人間が生まれるというのは非常に奇異に感じるみたいでした。クラスメートの中国人は全部一緒ではないけど似た話が中国にもあると言ってました。桃太郎の作者は不明で口頭伝承の話らしく、日本だけじゃなくアジア圏の国で伝えられてるそうです。
象形文字
初級クラス-2での話、大英博物館で買った古代エジプトの象形文字(ヒエログリフ)の柄の鞄を持っていたら、ドイツ人の先生から「それは日本語?」と聞かれました。。確かに漢字は象形文字の一種ですけどヒエログリフと日本語がゴッチャになるとはビックリ。まああちらの人にはどっちも意味不明な模様なんでしょうね。
津波
津波のことは英語で「Tsunami」といい日本語がそのまま使われていますが、ドイツ語でも同じく「Tsunami」といいます。津波という現象を表す単語がない(というより、もともとその地域にそうした現象がない)ので外国語を使っているということです。上級クラスで、自然災害のテーマの時、この単語がでてきました。授業で聞いた唯一の日本語でした。ホワイトボードに日本語で「津波」と書いてあげたら、とても喜ばれました。「nami」がドイツ語のWelle(英語のwave)を意味すると説明したら興味津々で「じゃTsuは何?」と聞かれました。「津」は港、海岸を意味するそうで、沖合は静かなのに港付近だけ破壊される波という意味。事前に調べおいたので答えられました。
スペイン語普及率
スペイン語はスペインと中南米ほとんどの国の公用語です。ブラジルだけは南米でもポルトガル語ですがスペイン語とポルトガル語はそっくりなので片方が分かればもう片方もだいたい分かるそうです。そんなわけで学校内では英語よりもスペイン語の方が通じるという感じでした。先生達も英語はもちろんフランス語、スペイン語位は分かるようでした。授業は基本的にドイツ語のみで行うわけですが初級レベルの生徒の場合、どうしてもドイツ語のみでは難しい時もあり、先生も主要な言語を操れる必要があるようです。私も初級クラスの時はどうしても分からないことは英語で聞いたりしてました。
日本人仲間
学校に行き始めて1年半位経った頃日本人の生徒が相次いで3人入学してきました。それまで学校内日本人は私だけだったので学校で日本語がしゃべれるなんて夢のようでした。クラスは違いましたが休み時間にカフェテリアで思いっ切り日本語で会話しました。と言っても他の国の人もいる時はなるべくドイツ語でしゃべってましたが。一応その場にいる全員が分かる言語で喋るのがマナーということで。でも日本語なんて聞いたこともない人にはとっても物珍しいようでした。。
フォネティック(発音クラス)
Urlikeが講師で、通常のグループ・レッスンの他に1時間CHF10程度で誰でも参加できる発音矯正のためのクラスです。金曜日の午後にやってました。一応予約が必要で、参加希望者は掲示板に貼ってある参加者リストに名前を書き入れるというものでした。ここでは文法とか語彙とかはあまり関係なく、ひたすら発音の練習をします。様々な国籍の生徒がいるわけですが、発音の問題はそれぞれの母語によって違い、千差万別と言えます。日本語の場合、他言語に比べて母音が少ないので日本にない母音を上手く発音出来なかったり、子音でも「L」と「R」の違いとか、日本語にない子音の音とか。アルファベットを使う国の場合、自分の言語での発音をひきずってしまう(「Ich」:イッヒを英語圏の人は「イック」、スペイン語圏の人は「イッシュ」と読んでしまう)。先生はそれぞれの生徒の母語も考慮して、「舌を引いて」とか細かく指導してくれます。日本人にはとにかく「R」の発音が難しく、どんなに頑張っても「それじゃ英語のRだ」とか言われました。
会話クラス
フォネティックと同様1回CHF10で誰でも参加出来るフリートークのレッスンです。初級、中級、上級に分かれていて、自分のレベルにあったクラスに参加出来ます。上級クラスだとかなりしゃべれる生徒達が集まってくるので相当積極的にしゃべらないと無言のまま1時間終わってしまうなんてことにもなりかねなくて、いつも中級クラスに出てました。毎回生徒も違うので今まで会ったことのない人と話が出来て楽しかったです。和気あいあいと雑談するという感じで気楽な授業でした。
イベント-1(世界の料理)
学校では毎月パーティなどのイベントが開催されていて生徒は誰でも参加出来ました。参加費は無料(授業料にイベント費用も含まれているらしい)でドイツ語をしゃべるいいチャンスということで色々参加しました。「世界の料理」は毎年3月頃開催されていました。生徒がそれぞれ自分の国の料理を作って持ってくる「持ち寄りパーティ」で、本当に色々な国の料理が食べられました。私はいつも和食として巻き寿司とおにぎりを持って行ってました。巻き寿司の具はスイスで何とか入手できるもので、カニカマ(中国食材店で購入)、きゅうり、卵焼き、ツナで、お米は一応日本米を使って酢飯を作りました。日本人が食べてもかなり美味しく出来ました。他の参加者の評判も上々で、おにぎりはイマイチ売れませんでしたが、お寿司は全て無くなりました。
イベント-2(バー・ルージュ)
バーゼルで(スイスで)一番高いビル(30階建)の最上階にあるバーでみんなで飲もうというもので、飲み代はさすがに実費で自己負担でした。スイスには高層ビルはほとんどないので30階建程度でも相当めずらしいようでした。バーの内部は「赤」で統一されていて、そのため「Bar
Rouge」というのですが、めずらしいのはおトイレで、壁がマジック・ミラーガラスになっていて、便座に座ると目の前が壁じゃなくてガラスで素晴らしい眺望なのです。外からは見えないようですが、なんとなく落ち着かない感じでした。
イベント-3(博物館)
市内にあるアンティーク博物館にみんなで行きました。ちょうど古代エジプト特別展をやっていて、個人的に行こうと思っていたところだったので、イベントで無料で行けてラッキーでした。ドイツ語のガイド付きで展示を見て回るのですが、私は古代エジプトが大好きでかなり詳しいのでガイドのお話も何とか理解出来ましたが、同程度のドイツ語力の友達は「全然分からない」と言ってました。例えば古代エジプトは多神教で、いろんな神様がいて、それぞれ由来や役割があります。その辺の詳しい内容を知らないと、「太陽神ラーが空を巡って・・・」とかドイツ語で説明されても分からないかも知れないです。
ボスニア・ヘルツェゴビナ
ユーゴ紛争の混乱後に独立した国で、首都はサラエボだってことくらいは何となく知ってました。ボスニア出身のサマンタは初めて会った時、まだ19才!クラスは違ったのですが、カフェテリアで雑談してる時によく入ってきて、おしゃべりしてました。18才で同じボスニア人の旦那様と結婚して、彼の住んでいるスイスに引っ越してきたそうです。とっても美人で独身の時にはモデルをやったことがあると言ってました。まだ若いのにとてもしっかりした明るい子でした。でも内戦でお父様や従兄弟達を亡くしているそうで、平和ボケした日本人にはそんな話を身近に聞くこともないので、どう反応していいか分かりませんでした。それでも本人はとにかく明るくて前向きでした。学校には来てましたがすでにドイツ語はかなりしゃべれてて、半年後にはスイスで仕事を見つけて学校を辞めていきました。彼女はイスラム教徒でしたが、お酒も飲んでたし、へそ出しルックしたりしてて、中東のイスラム教徒とは大分違いました。彼女の20歳の誕生日にパーティに招待されたのですが、ちょうどその時ラマダン(断食)の時期でした。でも彼女たちは「断食」はしないけどその期間はアルコールは控えるそうで、その時はお酒なしのパーティでした。
結婚式
ブラジル人のジーナはスイス人の男性と一緒に暮らしていましたが、約1年後、正式に結婚しました。このような形式(結婚する前にしばらく同棲する)は、ヨーロッパでは普通です。逆に結婚してから一緒に暮らし始めるのは無謀だという考え方があり、結婚前に本当にこの人と一緒に暮らしていけるかどうか確かめるのだそうです。彼女の結婚式はブラジルとスイス両方で行われましたが、私が招待されたのは、バーゼル近郊の古城Schloss Wilderswillでの結婚披露パーティでした。日本の披露宴とは違って、簡単な立食パーティで、招待客は平服、新郎、新婦はウェディング姿でした。お城の中庭でパーティを行った後、お城の見学ツアーがありました。ドイツ語ガイド付きでお城を一周しました。
日本で英語は通じる?
ドイツ人の先生に「日本に旅行に行くとしたら英語は通じるの?」と聞かれました。「ホテルや空港では通じるけど、他はあまり通じないと思う」と言ったら、「日本では英語を習わないの?」と聞かれ、「中学で3年、高校で3年、大学に行けば更に数年勉強する」と言ったら、目を真ん丸くして「「何でそんなに勉強してるのにみんなしゃべれないの?」と言われてしまいました。。ドイツ人に言われたくないな〜と思いました。だってドイツ語は英語とよく似ているし、文法は英語の方が簡単です。ドイツ語が母国語の人には英語なんて2〜3年勉強すればマスター出来るでしょう。「日本語と英語は全然違う種類の言語だし、日常あまり使う機会がないのでなかなかしゃべれるようにならない」と言ってみましたが、まだ釈然としないようでした。
地図帳大活躍
学校には世界中の色んな国からの生徒が来ています。自己紹介の時に「〜から来ました」と出身国を紹介するのですが、メジャーな国はまだしも、どこにあるのかよく知らない国、知ってそうで大まかな位置しか分からない国(マケドニア、キルギス、ウクライナ、アンゴラ、タンザニアなど)が結構ありました。そんな時役立ったのが中学で使った地図帳です(最新版を日本から持って行きました)。先生や他の生徒にも見せたりしましたが、みんなは日本語は読めないけど、地図の形は分かるのでなかなか好評でした。
宗教の話
授業中キリスト教の話題になった時に、ロシア人の友達に「日本人はカトリックとプロテスタントどっちなの?」と聞かれました。う〜ん世界に宗教はその2つしかないと思ってるのかしら。。とっさに思ったことを聞いただけのようで、「キリスト教よりも仏教が多い」と言ったら「あ、そうだよね。ゴメン。」と納得してました。
漢字の威力
中級クラス-2で一緒だった中国人のリーファとは、どうしてもドイツ語だけで意思疎通が難しい時に、よく漢字で筆談してました。これがよく通じるので、「意味を持つ文字」は偉大だと思いました。まあ日本独自の漢字もありますし、それぞれ簡略文字もあるので、通じないこともありますが。独和辞典とか見せてもある程度意味が分かると言ってました。
ワールドカップ
2006年のドイツ大会が、ちょうどスイス在住中に開催されました。あまり興味がなかったので隣の国でやってるのに見に行ったりはしませんでしたが、学校の先生(ドイツ人の男性)が大のサッカー・ファンで毎日のようにサッカーの話題で盛り上ってました。サッカーのボキャブラリーをたくさん教わったので、テレビ中継のドイツ語の解説がよく分かるようになりました。日本は決勝トーナメントには行けませんでしたが、それでもワールドカップに出ているだけでも「今日は日本戦だね」とか言われたり、話題に事欠きませんでした。中国人の友達に「日本はいいね〜自分の国が出てるとより楽しめるよね。」と言われました。
ワニ
ドイツ語「Danke」は「ありがとう」の意。日本語では何ていうのかと聞かれ「A-RI-GA-TO-U」と言ったら、スイス人の友達が「それじゃワニだ!」と言ったので、何のことかと思ったら、ドイツ語でワニのことは「Alligator」と言い、発音は「アリガトア」なのだそうです。英語では同じ綴りで「アリゲーター」と発音します。
メルシー
Merciはフランス語の「ありがとう」ですが、スイスのドイツ語圏でも普通に使われます。ドイツ語のDankeよりも気軽に使う感じです。丁寧「どうもありがとうございます」に言う場合、フランス語だと「Merci
beaucoup(メルシー・ボクゥ)」ですが、スイス(ドイツ語圏)ではこの「beaucoup」は使わず、ドイツ語で同じ意味の「vielmal(たくさん)」をつけて「Merci
vielmal」とフランス語とドイツ語のミックスで使います。フランス語圏のスイスではもちろん普通にフランス語ですが。学校でいつもの癖で「Merci」と言ってしまうと先生に「Dankeでしょ」怒られます。その他よく使うフランス語は「adeaux(アデュー)」があります。さようならという意味で、スイスでは「バイバイ」「またね」と言った感じの軽い挨拶として使いますが、フランス語本来の意味は「二度と会わない別れ」での「さようなら」です。