★★場所★★

ヨーロッパの真ん中に位置し、周囲をドイツ、フランス、イタリア、オーストリアという大国に囲まれた小さな国です(面積は日本の四国程度)。首都はベルン。







★★言語★★

スイスは地域によって使用言語が異なります。公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4種類。ロマンシュ語はラテン語の流れを汲む古い言語で、現在話者は一部の地域の僅かしかいません。何とか存続させようと保存政策がとられています。ドイツ語圏が圧倒的に多く、私の住んでいたバーゼルの他チューリッヒ、ベルン、インターラーケン、ツェルマット等がドイツ語圏、ジュネーヴ、ローザンヌ等がフランス語圏、南部のイタリア国境付近のロカルノ、ルガーノ等はイタリア語圏、サンモリッツなどがロマンシュ語圏です。ただ、どの地域に行ってもドイツ語はほぼ通じます。

ドイツ語圏
フランス語圏
イタリア語圏
ロマンシュ語圏






★★正式国名★★

国語が4つあるので国名もそれぞれの言語であります。紙幣など、スペース的に4つ表記できない場合などは、代表としてラテン語名を用いることもあります(4つの言語は同格でそのうちの1つを「代表」とすることは出来ないため)。ラテン語の頭文字をとった「CH」がスイスを示す略称になっています。通貨のスイスフランは「CHF」と表記します。日本語表記は「スイス連邦(瑞)」。

ドイツ語名:
Schweizerische Eidgenossenschaft
フランス語名:
Confederation Suisse
イタリア語名:
Confederazione Svizzera
ロマンシュ語名:
Confederaziun Svizra
ラテン語名:
Confoederatio Helvetica







★★政治体制★★

26の州(Kanton)から成る連邦国家です。かなりの範囲まで州による自治がまかなっており、国が行う部分の方が限られています(外交、軍、警察、鉄道、郵便など)。もともとはそれぞれの州が一つの「国」だったわけで、それが集まって一つの連邦国家を形成しています。ということで言語も含めてもともとの「国」の独自性がそのまま残っているという感じです。また、直接民主制による国民の政治参加も大きな特徴です。昔は総会形式だったそうですが、今は国民発議と国民投票という形で国民が直接意思表示することが出来ます。要するに、基本的には国民の代表である議会が各政策を行うわけですが、議会の決定に不満があれば国民発議により国民投票を行うことが出来、国民投票の結果が議会の決定よりも優先されるというようなシステムです。色々な意味で独自色の強い国で、国連には2002年にやっと加盟しましたがEUには加盟していません。







★★歴史★★

1291年8月1日、スイス中部のウリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3州(原始3州)がリュトリの草原で同盟を結び、それが「スイス」という国の基になりました(8月1日はスイスの建国記念日)。その後加盟州を増やしていき、現在は26州となっています。ナポレオン支配の時代を除いて他国の侵略は受けることなく、独立を維持してきました。







★★永世中立★★

1815年 ウィーン会議で「永世中立」が承認されました。軍隊が存在する武装中立国です。どこの味方もしない代わりにどこの助けも借りず自分の国は自分で守るということです。一定の年齢の男子は全員徴兵があり(女子は志願制)、不定期で召集がかかり訓練に行きます。その間仕事は休むことになるため、企業は徴兵で人が取られても業務が滞ることのないように人を採用しなければなりません。徴兵は余程の理由がない限り断ることは出来ません。有事には全員が即臨戦態勢で駆けつけるということで、平時でも家庭に軍から支給される武器(自動小銃など)を保管しています(弾薬は軍が保管)。冷戦時代は各家庭に核シェルターまであったそうで、スイスの自衛意識は徹底しています。これも永世中立を保つためなのでしょう。







★★産業★★

現在のスイスの産業としては観光、精密機械工業(時計など)、化学薬品工業、金融(銀行、保険)、酪農などがあります。農業にふさわしい気候・風土ではないため、農作物はほとんど輸入に頼っています。近代に入ってからは、作物を何も生み出さない氷河や岩山を観光資源としたり、精密機械など技術によって新たな産業を生み出しましたが、古くは他国へ「傭兵」を輸出することが主要産業でした。スイスの兵隊は非常に優秀だったそうで、中世には大勢のスイス兵があちこちの国で戦っていたそうです。場合によっては雇い主の違いからスイス人同士が敵となってしまう悲劇もあったとか。現在は傭兵制度は廃止されていますが、例外としてバチカン市国の警備隊をスイス兵が担っています(中世より優秀なスイス兵をバチカンの衛兵として採用していた名残)。