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第21王朝(B.C.1069〜945) タニス

名目上は正式な王朝であるが、テーベは実質的にアメン大神官が支配していたため、デルタ地方の統治に限られていた。


@スメンデス1世


誕生名:スメンデス(ネスバーネブジェト)



即位名:ヘジケペルラー・セテプエンラー


在位B.C.1069〜1043。誕生名の意味は「メンデスの主、ラムの君、アメンに愛されしもの」、即位名の意味は「明るきはラーの出現、ラーに選ばれしもの」。軍事官僚出身。デルタ地方の都市タニスの地方長官であったが、ラムセス11世の死後彼の娘と結婚することで王に即位した。戴冠式は古都メンフィスで行われたことが分かっている。タニスを首都として整備し、宗教都市としてもアメン神を頂く「聖なる都」として発展させた。





Aアメンエムニスウ


誕生名:アメンエムニスウ



即位名:ネフェルカラー


在位B.C.1043〜1039。誕生名の意味は「アメンは王なり」、即位名の意味は「美しきはラーの魂」。アメン大神官ヘリホルと妃ノジメットの間の息子。テーベのパネジェム1世の叔父にあたり、世継ぎのいなかったスメンデス1世の後継者としてパネジェム1世が王として推挙した。既に高齢だったため在位4年でこの世を去る。





Bプスセンネス1世


誕生名:プスセンネス(パセバカエムニウト)



即位名:アアケペルラー・セテプエンアメン


在位B.C.1039〜991。誕生名の意味は「テーベの町に現れる星、アメンに愛されしもの」、即位名の意味は「偉大なるかなラーの出現、アメンに選ばれしもの」。テーベのパネジェム1世の息子。アメンエムニスウの後継としてまたしてもパネジェム1世が送り込んだ。娘のイシスエムケブをテーベのメンケペルラーと結婚させ、婚姻による南北の平和共存を維持した。タニスから彼の未盗掘の墓が発見されている。黄金のミイラマスク等豪華な副葬品も手付かずで残されていた。





Cアメンエムオペト


誕生名:アメンエムオペト



即位名:ウセルマアトラー・メリアメン・セテプエンアメン


在位B.C.993〜984。誕生名の意味は「オペト祭のアメン」、即位名の意味は「ラーの正義は強い、アメンに愛されしもの、アメンに選ばれしもの」。プスセンネス1世の息子。大きな業績はないが、タニスのプスセンネス1世の墓からはアメンエムオペトのミイラも見つかっている。ミイラマスクはプスセンネス1世同様黄金製の素晴らしいものであった。





D大オソルコン


誕生名:オソルコン



即位名:アアケペルラー・セテプエンラー


在位B.C.984〜978。即位名の意味は「偉大なるかなラーの魂、ラーに選ばれしもの」。ほとんど記録が残っていないが、リビア出身ではないかと言われている。





Eサアメン


誕生名:サアメン



即位名:ネチェルケペルラー・セテプエンアメン


在位B.C.978〜959。誕生名の意味は「アメンの息子」、即位名の意味は「神のごときはラーの出現、アメンに選ばれしもの」。出自不明。建築事業を積極的に行い、各地にその名を見ることが出来る。また、テーベの王家の谷で横行する墓泥棒から王のミイラを守るため、神官達に命じてミイラの保存、隠匿作業(ミイラの改修、保存作業や隠し場所への移送、各ミイラの来歴を記録)を行った。来歴により、保存作業や一時保管、隠し場所の移動等様々な作業の詳細を知ることが出来る。点々と場所を変えたミイラであるが、最終的にロイヤル・カシェ(この頃亡くなったパネジェム2世の墓)やアメンヘテプ2世の墓に保管されたようである。この事業は第22王朝初期まで続いた。


旧約聖書
「列王記」の中で、「ソロモン王に娘を嫁がせてと同盟を結んだエジプトの王」という記述が出てくるが、これがサアメン王ではないかと思われている。かつてはエジプトの王室に他国の王女が嫁いでくることはあっても、エジプトの王女を他国に嫁がせることはなかった。それだけエジプトの国力が弱体化していたと言える。





Fプスセンネス2世


誕生名:プスセンネス(パセバカエムニウト)


即位名:ティトケペルウラー・セテプエンラー


在位B.C.959〜945。誕生名の意味は「テーベの町に現れる星、アメンに愛されるもの」、即位名の意味は「ラーの化身のイメージ」。テーベのプスセンネス3世はこのプスセンネス2世のことではないかと思われている。前王サアメンに世継ぎがいなかったため、テーベからプスセンネス3世を迎え入れたものと考えられる。





大司祭国家・第21王朝系図