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リビア人の王朝。バステト神(猫の神)を主神とするブバスティス出身のシェションク1世が立ち上げた。リビア人は新王国時代から徐々にエジプトに入ってきており、有能で要職につく者も多かった。
@シェションク1世

誕生名:シェションク(メリアメン)

即位名:ヘジケペルラー・セテプエンラー
在位B.C.945〜924。誕生名の意味は「シェションク、アメンに愛されしもの」、即位名の意味は「明るきはラーの出現、ラーに選ばれしもの」。軍の総司令官を努めていたが、第21王朝の最後の王プスセンネス2世(世継ぎがいなかった)の娘と結婚することで王として即位した。即位名は第21王朝創始者であるスメンデス1世と同じものを採用、リビア人でありながらエジプトの伝統を尊重し、正統な王として国を統治する姿勢を強調した。彼は息子達をそれぞれ地方の要職に据えることで、それまでタニスとテーベに分かれていた王朝を統一した。長男のオソルコンを後継者として自分の傍に置き、次男イウプトはテーベの大司祭に、他の弟達(ジェドプタハアウタク、ネスィ)もテーベに神官として送り、イウプトの補助にあたらせた。一番下の息子ニムロトには要衝の地ヘラクレオポリス(上エジプトの入り口付近に位置する)の軍司令官とし、南のテーベにも軍事的な睨みを効かせた。家族経営で国内を安定させたシェションク1世は、パレスチナに挙兵する。旧約聖書に「エジプト王シシャクがエルサレムを攻め落とし王宮や神殿の宝物を全て奪い去った」と登場する「エジプト王シシャク」がシェションク1世であると思われる。パレスチナでは輝かしい戦果を挙げたが、既に高齢だった王は遠征の無理がたたったのか帰国後間もなく死亡する。
Aオソルコン1世

誕生名:オソルコン(メリアメン)

即位名:セケムケペルラー
在位B.C.924〜889。誕生名の意味は「オソルコン、アメンに愛されしもの」、即位名の意味は「ラーの出現は強大なり」。シェションク1世の長男。早くから後継者として父の傍で政権に関わってきたため、有能な政治家に成長し、スムーズに父の仕事を引き継ぐことが出来た。彼は出身地のブバスティスで数多くの建築事業を行っている。家族経営による地方統治も継承、父からアメン大司祭に任命されていた弟イウプトを解任し、自分の息子シェションク2世を大司祭とした。B.C.890年頃、オソルコン1世はシェションク2世を呼び戻し、共同統治者として即位させた。しかし間もなくシェションク2世は亡くなってしまう。落胆したオソルコン1世も後を追うように死亡する。
Bシェションク2世

誕生名:シェションク(メリアメン)

即位名:ヘカケペルラー・セテプエンラー
在位B.C.890頃。誕生名の意味は「シェションク、アメンに愛されしもの」、即位名の意味は「ラーの出現が統べる、ラーに選ばれしもの」。オソルコン1世の息子。短期間共同統治者であったが、早逝。
Cタケロト1世

誕生名:タケロト(メリアメン)
即位名:ウセルマアトラー・セテプエンラー
在位B.C.889〜874。誕生名の意味は「タケロト、アメンに愛されしもの」、即位名の意味は「ラーの正義は強い、ラーに選ばれしもの」。オソルコン1世と下位の王妃との間に生まれた息子。シェションク2世の早逝により即位した。約15年間王位にあったが、カルトゥーシュは残されておらず目立った業績はない。
Dオソルコン2世

誕生名:オソルコン(メリアメン)

即位名:ウセルマアトラー・セテプエンアメン
在位B.C.874〜850。誕生名の意味は「オソルコン、アメンに愛されしもの」、即位名の意味は「ラーの正義は強い、アメンに選ばれしもの」。タケロト1世の息子。この時のアメン大司祭が早逝したシェションク2世の息子ハルスィエセであったが、オソルコン2世の治世4年にハルスィエセは突如テーベのファラオを宣言し、上エジプトを牛耳ってしまう。再び上下に分裂してしまったエジプトであるが、ハルスィエセは実質的には施政権はなく、宗教上の大司祭を超えるようなものではなかった。ハルスィエセの死後、オソルコン2世は息子のニムロトをアメン大司祭に送り込む。また、もう一人の息子シェションクはプタハ大司祭としてメンフィスに送り、再度家族経営により国内の安泰を得た。しかし今度は国際情勢が不穏となる。アッシリアによる周辺国の攻撃が激しくなっていたのである。危機感を抱いたオソルコン2世はイスラエルや近隣諸国と同盟を結び、アッシリアの進撃を食い止めた。オソルコン2世は既に高齢だったため、自ら戦闘に出向くことはなかったが、この戦いの数年後に死亡した。
| オソルコン2世と王妃カロママ1世 |
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Eタケロト2世

誕生名:タケロト(メリアメン)

即位名:ヘジケペルラー・セテプエンラー
在位B.C.850〜825。誕生名の意味は「タケロト、アメンに愛されしもの」、即位名の意味は「明るきはラーの顕現、ラーに選ばれしもの」。オソルコン2世の息子。弟のニムロトがテーベの大司祭を務めていたが、ニムロトは自分の息子プタハウアジアンクエフをヘラクリオポリスの軍司令官とし勢力を広げるとともに、娘のカロママ2世をタケロト2世に嫁がせ南北協調路線を示した。ニムロト存命中はバランスの取れていた南北の関係が、ニムロトの死後崩れ始める。アメン大司祭の後継者の地位を巡って争いが勃発したのである。タケロト2世は自分の息子オソルコン(皇太子の地位にあった)を指名したが、テーベの反対勢力はハルスィエセ(オソルコン2世治世下で自らファラオを宣言したハルスィエセの孫)をアメン大司祭に据えるよう要求した。オソルコン王子はテーベに入ることが出来ず、ヘラクリオポリスのプタハウアジアンクエフに助力を求めた。プタハウアジアンクエフはオソルコン王子を支持、正規の政府軍を率いてテーベの反乱軍を一掃した。オソルコン王子は無事アメン大司祭に就任し、その後しばらくは安定していたが、一度発生した不満の火は消えることはなく再度反乱が起こる。この反乱は完全に鎮圧することが出来ず、10年近くに渡って内戦状態が続いた。タケロト2世は混乱の中死亡する。
Fシェションク3世

誕生名:シェションク(メリアメン)

即位名:ウセルマアトラー・セテプエンラー
在位B.C.825〜773。誕生名の意味は「シェションク、アメンに愛されしもの」、即位名の意味は「ラーの正義は強い、ラーに選ばれしもの」。タケロト2世の息子。兄のオソルコン王子がテーベにいる隙にタニスの王宮、軍隊等に根回しを済ませ、父のタケロト2世が死ぬとオソルコン王子がテーベから戻る前に王位を奪って即位してしまった。ただシェションク3世は政敵である兄を殺害するようなことはせず、引き続きテーベの大司祭とした。しかしテーベの混乱は収まっておらず、再び現れたハルスィエセによってオソルコン王子はテーベを追い出される。大司祭の座を巡って混乱したテーベだが、最終的にはオソルコン王子が復権した。また、レオントポリスに駐在していた弟のペディバステトはこの頃レオントポリスでファラオを宣言(第23王朝)、エジプトは再度分裂していく。
Gパミ

誕生名:パミ

即位名:ウセルマアトラー・セテプエンアメン
在位B.C.773〜767。誕生名の意味は「猫の神(バステト)に属する君」、即位名の意味は「ラーの正義は強い、アメンに選ばれしもの」。シェションク3世の息子。父の治世後半からレオントポリスの王朝(第23王朝)とのせめぎあいが続いたが、王の権威は既に弱体化していた。
Hシェションク5世

誕生名:シェションク

即位名:アアケペルラー
在位B.C.767〜730。即位名の意味は「偉大なるかなラーの魂」。パミ王の息子。
Iオソルコン4世

誕生名:オソルコン(メリアメン)

即位名:アアケペルラー・セテプエンアメン
在位B.C.730〜715。即位名の意味は「偉大なるかなラー魂、アメンに選ばれしもの」。シェションク5世の息子。第22王朝はさらに弱体化、各地(レオントポリス、ヘルモポリス、ヘラクレオポリス、サイス、ヌビア)でファラオを宣言する独立国家が立ち混乱していく。

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オソルコン2世の治世4年に、シェションク2世の息子ハルスィエセがテーベの王として強引に即位した。
@ハルスィエセ

誕生名:ハルスィエセ(メリアメン)

即位名:ヘジケペルラー・セテプエンアメン
在位B.C.870〜860。誕生名の意味は「ホルスはイシスの息子」、即位名の意味は「明るきはラーの出現、アメンに選ばれしもの」。シェションク2世の息子。従兄にあたるオソルコン2世の治世4年に、テーベの王を宣言しファラオとなった。しかし実質的に施政権はなく、以前の大司祭国家のような独立国家と言えるものではなかった。ハルスィエセの死後は再び第22王朝の力が及ぶようになり、オソルコン2世の息子ニムロトがテーベの大司祭となった。