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第25王朝(B.C.747〜656) ヌビア/クシュ朝

南方のヌビア人によるエジプト支配。古来エジプト王国の支配を受けていたヌビアは、エジプトの宗教も取り入れた独自の文化を形成していた。エジプトの威光が弱まった新王国時代後期頃よりクシュ王国として徐々に力をつけていた。エジプト北部に複数の王朝が乱立し、王権が崩壊しつつあるのを見たヌビアは、テーベを無血開城し、初の黒人ファラオが誕生する。


@ピアンキ


誕生名:ピアンキ(ピイ)



即位名:メンケペルラー


在位B.C.747〜716。即位名の意味は「ラーの宣言を守る」。アメン神への信仰が深く、エジプトの伝統を重んじて即位名を第18王朝の偉大なファラオ、トトメス3世と同じものを用いている。当初ヌビアは上エジプトの支配を維持することで満足していたようであるが、北部のテフナクト王(サイス朝)が周辺王朝と連合を組んで対決姿勢を示したことに危機感を抱いたピアンキ王は、一転北部を制圧しエジプト全土の支配に舵を切る。テフナクト王らの連合軍を破った後も、それぞれの王達にはもとの地域の自治権を与え、これまで通りに支配することを認めた。また、ピアンキ王の妹アメンイルディス1世をアメン神聖妻とし、アメン神官団への影響力を保持した。神殿の建設事業も盛んに行った。





Aシャバカ


誕生名:シャバカ



即位名:ネフェルカラー


在位B.C.716〜702。即位名の意味は「美しきはラーの魂」。ピアンキ王の弟。各地で神殿の修復や建設を行った。


シャバカ石  
メンフィスで発見された遺物。プタハ神の創世神話が刻まれているが、後世の人達が臼として使用したため大きな刻みがあり更に碑文は摩耗していて読めない部分が多い。 






Bシャバタカ


誕生名:シャバタカ



即位名:ジェドカウラー



在位B.C.702〜690。即位名の意味は「ラーの魂は永続する」。ピアンキ王の息子(シャバカ王の甥)。アッシリアの脅威が強まり、パレスチナ各国のアッシリアへの反乱を支援した。アッシリアとの対決はこの後も続いていく。





Cタハルカ


誕生名:タハルカ



即位名:ネフェルテムクラー


在位B.C.690〜664。即位名の意味は「ネフェルテムは彼の守護者」。シャバタカ王の弟。アッシリアとの対決が本格化、エジプト国内まで侵入される。侵攻・撃退を繰り返すが、最終的にタハルカ王はテーベを放棄し南のナパタ(ヌビア)に退却する。この時テーベ市長を務めていたメンチュエムハトは非常に優秀で、アメン神の司祭という地位も持っていた。アッシリアに攻め込まれた後もテーベに留まり、破壊された街の復興を行った。


タハルカ王
 
テーベ市長 メンチュエムハト 
 






Dタヌトアメン


誕生名:タヌトアメン


即位名:バカラー

在位B.C.664〜656。即位名の意味は「栄えあるはラーの魂」。タハルカ王の従兄弟。再度アッシリアに攻撃を仕掛けるが撃退、タハルカ王と同じくナパタへ逃げ帰る。その後ヌビア人がエジプトを支配することはなかった。





第25王朝系図