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第26王朝(B.C.664〜525) サイス朝

第24王朝(サイス)の王家につながる一族による王朝。アッシリアの侵攻により第25王朝はヌビアへ撤退したため、デルタ地方の自治を任される。その後勢力が弱まったアッシリアからの支配を脱し、独立を果たす。


@プサムテク1世


誕生名:プサムテク



即位名:ウアフイブラー


在位B.C.664〜610。即位名の意味は「永遠なるはラーの心」。アッシリアはエジプトに侵攻、支配するにあたり、サイスの長官を務めていたネカウ1世とその息子プサムテク1世にデルタ地方の自治を任せた。当初はアッシリアの主権による統治を行っていたが、オリエント地方でのアッシリアの勢力が弱まると、アッシリアの支配を脱し独立国家としての統治を取り戻した。アッシリアはその後新興勢力のバビロニアに滅ぼされる。アッシリアとバビロニアの戦いにおいて、エジプトはアッシリアを支援したが、バビロニアの勢力にはかなわなかった。
テーベにおいては、アメン神聖妻として娘のニトクリスを就けることを市長のメンチュエムハトに認めさせ、上エジプトを掌握した。デルタ地方諸都市の抵抗勢力も制圧し、内政の充実に努めた。貿易や建設事業を積極的に行い、軍隊にはギリシャなど外国出身の傭兵を多く徴用し、徹底的に強化した。美術・芸術分野では古王国・中王国時代への回帰が行われ、「サイス・ルネッサンス」と呼ばれている。遺物の中には古王国時代のものと区別がつかないようなものもある。





Aネカウ2世


誕生名:ネカウ



即位名:ウアフエムイブラー


在位B.C.610〜595。即位名の意味は「ラーの意志を永遠に実行する」。プサムテク1世の息子。アッシリア滅亡後もシリアではバビロニアとの攻防が続くが、結局ネカウ2世は兵を引き上げる。シリアでの戦争には敗れたネカウ2世だが、国内では積極的に新しい事業を行っている。その一つはエジプト初の海軍設立であった。ギリシャ人の傭兵を中心に結成、地中海や紅海に配備した。また、ナイル川と紅海をつなぐ運河の建設にも着手した。現在のスエズ運河を2500年も先取りしていたが、完成には至っていない。更にフェニキア人の船乗りにアフリカ大陸を一周させたという記録がある。エジプトはもともと海に関しては得意分野ではなかったが、ネカウ2世はこのような海に関する事業を積極的に展開した斬新なファラオであったと言える。









Bプサムテク2世


誕生名:プサムテク



即位名:ネフェルイブラー


在位B.C.595〜589。即位名の意味は「美しきはラーの心」。ネカウ2世の息子。在位は6年間と短い。ヌビアのクシュ王国に対する侵攻を行い、南の国境を押し下げた。サイスの王朝は第24王朝よりヌビア(第25王朝)と競り合っており、第25王朝が崩壊しヌビアへ撤退した後も確執は続いた。このヌビア遠征には後に王位を簒奪することになるアマシス(イアフメス2世)が将軍として参加していた。また、プサムテク2世の娘アンクネスネフェルイブラーはテーベのアメン神聖妻となり、上エジプトの安定に貢献した。


アンクネスネフェルイブラーの石棺






Cウアフイブラー(アプリエス)


誕生名:ウアフイブラー(アプリエス)



即位名:ハアイブラー


在位B.C.589〜570。誕生名の意味は「永遠なるはラーの心」、即位名の意味は「慶賀すべきは永遠なるラーの心」。ギリシャ名アプリエス(ギリシャ名の方がよく知られている)。プサムテク2世の息子。国内外に問題を抱えて苦悩する。シリアとリビアでの戦争に敗れ、軍に反乱を起こされ最終的に処刑されてしまう悲運なファラオ。


シリアでの敗戦
ネカウ2世のバビロニアとの衝突以降、シリア地方での新興バビロニアにはどこの国も歯が立たなかった。何とかしてこの地域の主権を得たいエジプトは、エルサレムのユダ王国(既にバビロニアの属国となっていた)をたきつけてバビロニアに反旗を翻させる。エジプトも援軍を送るがやはりバビロニアにはかなわずユダ王国は滅亡、住民は皆バビロニアに強制移住させられた(バビロン捕囚)。


リビアでの敗戦
隣国リビアで、植民地化を進めるギリシャの侵入軍と現地民の間で争いが起こり、リビアの王はエジプトに支援を求める。アプリエスはリビアに援軍を送るがあっさり敗北してしまう。


軍の反乱
リビアでの戦いは勝ち目がないものであったにもかかわらず軍を派遣し多くの兵士を死なせたとして、生き残ったエジプト兵達が王に対して反乱を起こす。アプリエスはこれを鎮圧するために将軍アマシスを送り込むが、逆にアマシスは反乱軍に寝返ってしまう。反乱軍の兵達にとっては無能な王よりもアマシス将軍の方がトップに相応しい人材だった。優秀な将を得た反乱軍にアプリエスの軍は撃退、王は処刑された。アマシスはイアフメス2世として王位を継いだ。





Dイアフメス2世(アマシス)


誕生名:イアフメス(アマシス)



即位名:クネムイブラー


在位B.C.570〜526。誕生名の意味は「月は生まれる、ネイトの息子」、即位名の意味は「ラーの心を大切にする君」。優秀な将軍で、プサムテク2世のヌビア遠征にも参加している。アプリエス王を反乱軍を率いて追いやり、王位を簒奪する。平民の出身で酒と悪ふざけ好きのくだけた性格だったが、頭はよく、エジプト人とギリシャ人の関係悪化を防ぎ、建築、貿易も積極的に行うなど、国を繁栄させた。治世の末期頃、ペルシャ帝国(アケメネス朝)によってバビロニアが滅ぼされる。破竹の勢いのペルシャ王キュロス2世はバビロニア、リディア他の諸都市を征服し、エジプト侵攻も時間の問題となっていた。イアフメス2世はペルシャに対抗するため、軍備や諸外国との同盟などに奔走するが、戦端が開かれる前に死亡する。


イアフメス2世の母の像






Eプサムテク3世


誕生名:プサムテク



即位名:アンクカエンラー


在位B.C.526〜525。即位名の意味は「ラーは魂に命を与える」。イアフメス2世の息子。ペルシャ王カンビュセス2世(キュロス2世の後継者)の攻撃を受け敗北。エジプトはペルシャの属国となる。





第26王朝系図