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@カンビュセス2世

誕生名:カンビュセス

即位名:メスウティラー
在位B.C.525〜522。即位名の意味は「ラーの末裔」。第26王朝を征服したアケメネス朝ペルシャの王がファラオとなりエジプトを支配した。ただしエジプトには総督を置き、自らはペルシャ本国からエジプトを統治するという方法をとる。聖牛アピス(エジプト人にとって神聖な動物)を切り裂いて殺害したり、第26王朝のイアフメス2世(アマシス)王のミイラを掘り返して焼いたり(エジプト人にとってミイラを破壊することは再生できないことを意味し、最も恐ろしいことだった)、プサムテク3世とその家族を捕らえて処刑したりと、残虐なエピソードが多く残っている。エジプト人にとって新たな支配者の印象は最悪であった。ヌビア遠征などを行うが失敗に終わり、最後は事故で命を落とした。
Aダレイオス1世

誕生名:ダレイオス

即位名:セトゥトラー
在位B.C.521〜486。即位名の意味は「ラーの似姿」。カンビュセス2世の息子。神殿の建設や修復を行ったり、第26王朝のネカウ2世が着手したナイル川と紅海をつなぐ運河を完成させたりと、エジプト国内の政治をしっかりと行った王である。彼の治世は基本的に繁栄した時代であったが、終盤に国外事情が急変する。B.C.490年、ペルシャはマラトンの戦いでギリシャに敗れる。もともとペルシャ王朝に対して不満を抱いていたエジプト人がこれに乗じて反乱を起こし、ダレイオス1世はその鎮圧に乗り出すが、その途中で死亡する。

Bクセルクセス

誕生名:クセルクセス
在位B.C.485〜465。即位後速やかにエジプト人の反乱を鎮圧する。B.C.480年、サラミスの海戦でペルシャは再びギリシャに敗れる。その後クセルクセスは息子(アルタクセルクセス1世)によって暗殺される。
Cアルタクセルクセス1世

誕生名:アルタクセルクセス
在位B.C.465〜424。クセルクセス王の息子。ペルシャ王朝に対するエジプト人の不満は収まることはなく、プサムテク3世の息子イナロス王子とサイスのアミルタイオスという人物による大規模な反乱が起こる。ギリシャの応援もあり反乱は当初うまくいっていたが、結局は鎮圧されイナロス王子は処刑される。
ギリシャ人歴史家のヘロドトスはこの頃にエジプトを訪れ、見聞きしたことを詳細に記録している。
Dダレイオス2世

誕生名:ダレイオス
在位B.C.423〜405。神殿の建設や修復事業を行い、エジプト人のご機嫌を取ろうと努力した。しかしその甲斐もなく再びサイスを中心に反乱が起こる。
Eアルタクセルクセス2世

誕生名:アルタクセルクセス
在位B.C.405〜359。サイスのアミルタイオス(アルタクセルクセス1世の時代にイナロス王子と共に反乱を起こしたアミルタイオスの孫に当たる人物)がペルシャ王朝を破り、再びエジプト人の独立を勝ち取る。