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マネトーの分類では正当な王朝とはされていない(王朝はあくまでも第21王朝)が、アメン大神官という公職を世襲で引き継ぎ、宗教だけではなく世俗的・政治的にもその地域を支配していたため、実質的な独立国家と言える。
@ヘリホル

誕生名:ヘリホル(サアメン)

即位名:ヘムネチェルテピエンアメン
在位B.C.1080〜1074。誕生名の意味は「ホルスは私を守る、アメンの息子」、即位名の意味は「アメンの第一の預言者(大神官)」。第20王朝最後の王ラムセス11世の治世末期に事実上のテーベの王として即位、エジプト南部を支配する大司祭国家を確立した。妻はラムセス11世の妹(または娘)ノジメットで、彼が最高の地位を得た背景にはこの妻の影響力が大きいとの見方もある。彼は約6年間統治し、ラムセス11世よりも先に亡くなった。
Aピアンキ

誕生名:ピアンキ
在位B.C.1074〜1070。ヘリホルの息子または娘婿と思われる。軍人。ヘリホルによってヌビアに追いやられていたパネヘシが再度テーベに攻め込んできたが、ピアンキによって撃退されている。ラムセス11世と同時期に死んだと考えられている。
Bパネジェム1世

誕生名:パネジェム(メリアメン)

即位名:カーケペルラー・セテプエンアメン
在位B.C.1070〜1032。誕生名の意味は「喜ばしき存在(ホルスまたはプタハ)に属する君、アメンに愛されるもの」、即位名の意味は「ラーの魂が出現する、アメンに選ばれしもの」。ピアンキの息子。ラムセス11世の娘ヘヌトタウイ1世と結婚した。子沢山だったようで、タニスの第21王朝(スメンデス1世には世継ぎがいなかった)の王として息子(プスセンネス1世)を送っている。南北の王朝は争いではなく婚姻により結ばれ協力関係を築いていった。
| パネジェム1世 | |
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←カルナック神殿にある像(第19王朝ラムセス2世の像をパネジェム1世が名前を書き替え自分のものとした) |
Cマサハルタ

誕生名:マサハルタ
在位B.C.1054〜1046。パネジェム1世の息子。在位は約8年と短く、弟が後を引き継いだ。
Dメンケペルラー

誕生名:メンケペルラー

即位名:ヘムネチェルテピエンアメン
在位B.C.1045〜992。誕生名の意味は「永続するのはラーの出現」、即位名の意味は「アメンの第一の預言者」。パネジェム1世の息子。マサハルタの弟。在位は約53年と長期に渡るが、目立った業績はない。第21王朝との平和共存を維持した。兄であるプスセンネス1世(第21王朝)の娘イシスエムケブを妻とした。
Eスメンデス2世

誕生名:スメンデス
在位B.C.992〜990。メンケペルラーの息子(最初の妻との間の子)。在位は2年と短く、詳細は不明。
Fパネジェム2世

誕生名:パネジェム(メリアメン)

即位名:カーケペルラー・セテプエンアメン
在位B.C.990〜969。誕生名の意味は「喜ばしき存在(ホルスまたはプタハ)に属する君、アメンに愛されるもの」、即位名の意味は「ラーの魂が出現する、アメンに選ばれしもの」。メンケペルラーとイシスエムケブの間の息子。スメンデス2世の異母弟。目立った業績はないが、後世彼の墓が王家のミイラの隠し場所(ロイヤル・カシェ)として使われたことで有名である。
Gプスセンネス3世

誕生名:プスセンネス
在位B.C.969〜945。パネジェム2世の息子とされている。カルトゥーシュも残されておらず詳細は一切不明。第21王朝のプスセンネス2世と同一人物ではないかと見られている。